「オール昭島」の歴史

1986年(昭和61年)、第7回東京・ニューヨーク親善少年軟式野球昭島地区大会が昭島三井グランドで開催された。それに対応するために、急遽連盟傘下の各チームから選手を選抜し、「オール昭島」としてニューヨーク選抜と戦ったのが始まりである。

当時の監督は升田亮氏で、選手は20名だった。ユニフォームカラーは、この時から赤だった。

その後、毎年各チームの協カを得て「オール昭島」(6年生1年限り)を結成し、技量向上のための練習を実施したり、近隣支部との交流試合を行ったり していた。そのうちに、他の支部も「オール」チームの結成が相次ぎ、「オール」だけの大会がないのかとの声があがるようになった。 そこで、当連盟は1991年(平成3年)に他支部の協力を得て,「西東京オープン選抜少年野球大会」を開催することになった。このとき(第1回) の優勝チームは日野支部選出の「オール日野」であった。

「西東京オープン」は、第8回大会(1998年)のみ初目・2目目と降雨のため中止になったが、その他は順調に行われ、今年度開催の第13回大会は太田支部選出の「オール城南」が2年連続6回目の優勝を成し遂げた。なお、地元の「オ ール昭島」は、「第3位が3回」の成績を残している。

(25周年記念誌より引用)